「洗脳と死とビジュアル系」

YOSHIKIのTwitterから記事が紹介されていました.

10月に映画のプロモーションでヨーロッパを回った時に,ロンドンで受けた取材の記事のようで,
12月中旬にはネットにこの状態(和訳)で出ていましたが,
YOSHIKI公認なのかどうか分かりませんでしたので,とりあえず飛ばしていました.
(飛ばしていなかったかな?ちょっと不明)

ということで,「i-d.vice.com」様の記事より抜粋しながら.

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「意図的に自分の身体を破壊しているようなもの.表現として適当かわかりませんが,毒を以て毒を制すというか......痛みを忘れるためにさらに痛みを加えるような.必要以上に激しく演奏してきた理由も,そこにあるのかもしれませんね」
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心の痛みを忘れる(紛らわせる)ために,始めたドラム.
ということでしたよね.
元々は「父親の死の痛み」だったと思います.
『Vanishing Love』の「忘れられない苦しみ」とかもこれですね.
DAHLIA tourの頃までの(不必要に長い執拗な)ドラムソロとかもこれかな?
ドラムソロの後,ドラムを壊して倒れて運ばれて終わり.というアレも.
最近の(2015年X JAPAN JAPAN tourの頃の)YOSHIKIは,
ドラムを壊したりドラムに飛び込んで自ら負傷したりすることはなくなりました.

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「彼(HIDE)の死はいまだに理解できません」
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父親の死も,(今ではどうなのか知りませんが)長らく(恐らく今も)理解出来ていないのかも知れませんよね.

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YOSHIKIの幼馴染であり,X JapanのボーカルでもあるTOSHIが辿った数奇な半生は実に興味深い”もうひとつの物語”として,映画に奥行きを生んでいる.
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やはり,海外の人でも,あの映画を見たら,Toshlに興味を持ちますよね.
もし,YOSHIKIの「映画プロモーションツアー」にToshlが同行していたら,
Toshlに(海外メディアの)質問が集中するのではないかと思います.
それを避けるためもあってのYOSHIKI単独プロモーションツアーなのかな?とも思います.

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映画の序盤,ラジオDJがYOSHIKIに1997年のバンド解散の真相を問うシーンがある.DJは「メンバーの不仲によるものだったのか,それとも音楽性の不一致が生じ始めたからだったのか」と問うたのだが,YOSHIKIは「ボーカルが洗脳されてしまったんです」と答えている.
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これはちょっと話を端折りすぎだと思います.
「バンド解散の真相」ということですよね.それで「ボーカルが洗脳された」と答えると,
X JAPAN解散の原因は「TOSHIが悪い」になってしまいます.
(実際私もそう思っていましたけれども)

・TOSHI,悩み(海外進出,事務所問題)が深くなる
・TOSHI,結婚(1997.2.14)
・TOSHI,X JAPANを脱退(1997.4.20)
この時点ではまだ団体には入っていない
・X JAPAN,バンドを継続する方針を選択
・X JAPAN,解散を決定(1997.6)
・X JAPAN,解散を発表(1997.9.22)
・TOSHI,第一回洗脳セミナー参加(1997.9.27-29)
・X JAPAN,解散コンサート(1997.12.31)

この辺はToshlの『洗脳』の記述に従うしかないのですが,この↑時系列です.

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「何かがおかしいとは感じていたんですが,僕の頭の中はX Japanの世界進出でいっぱいだったんです」と,プレスイベントでYOSHIKIは説明した.「やっとひと段落ついてTOSHIに会ったとき,すでに手遅れだと思いました.TOSHIは僕のところに来て『バンドを辞めたい』と言いました.TOSHIはもう僕の知っているTOSHIではなくなってしまったとそのとき気づきました」
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これ↑は,1997年4月20日のことだと思いますが,
この時はまだ,おかしくはなっていたと思いますが,まだ洗脳が完了した後ではないですよね.
TOSHIは結婚して,新しい人生を始めるにあたり,それまでの人生(X JAPANとYOSHIKIとの人生)を終わらせた.
妻の強い希望で終わらせた.ということでしたよね.

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TOSHIはカルト自己啓発セミナー団体「ホームオブハート(HOH)」の洗脳に遭い,「X Japanの音楽は悪」と信じ込むようになった.「X Japanが解散したあの夜は,僕にとって単にバンドが終わってしまった夜だっただけでなく,友達を失った夜でもありました」とYOSHIKIは言う.「僕とTOSHIは4歳からの幼馴染です.目の前にいるTOSHIは肉体としては存在しているものの,もうTOSHIではありませんでした.
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ここでの「X JAPANが解散したあの夜」は,1997.12.31だと思います.
1997.4.20ではないと思います.1997.4.20は,「TOSHIの脱退」であって「X JAPANの解散」ではないからです.

1997.4.20と1997.12.31の間に,1997.9.22(X JAPAN解散記者会見)がありますが,
その時にもYOSHIKIはTOSHIに直接接触することはなく,
結局,1997.4.20以降,初めてYOSHIKIがTOSHIと会ったのは,
1997.12.26(Mステスーパーライブ)の頃だったと思います.この時では確かに手遅れです.
4.20の時点でも十分に変でしたが,その頃はまだ結婚しただけで,
MASAYAに会ってもいない時でしたから,
まだ引き返すことは可能だった「かも」知れません.
今となっては,これもとっても悔やまれる点です.

だけどまあ,あくまでも「YOSHIKI目線」なYOSHIKIインタビューですね(^^;

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10年後TOSHIは戻ってきましたが,そのときにも『TOSHIはまだ様子がおかしいな.なにかが違う』と感じました.でも『一緒に音楽をプレイしていけば,そのうち目を覚ましてくれるかもしれない』と思ったんです.実際,音楽をともにやる中でTOSHIは目を覚ましてくれました」
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「宇宙的犯罪者」のはずのX JAPANに戻らされたという不審感と,
MASAYAの裁判でのしどろもどろの受け答えと,
決定打は,妻の不倫.でしたよね.

妻の不倫で目を覚まし,
それでまっすぐX JAPANに帰ってくるかと言えばそうでもなくて,
2009.7.7「JADE」のレコーディングの時も,凄いピンチだったのに(回線の向こうの)YOSHIKIに助けを求めることもなく,
8月「鈴鹿の夜」ではYOSHIKIと会ったのに,多分何も言わず,
この頃はお互いの距離はかなり大きかったと思います.

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わたしたちはYOSHIKIに「やり直せるなら過去をやり直したいと思うか?」と質問してみた.すると彼は「やり直したいことはたくさんありますね」と静かに答えた.「僕がもっと違った生き方をしていれば,メンバーが死なずに済んだかもしれないという思いは,今でも強く心にあります.それが僕にとって最大の後悔です.彼らの肉体はもうこの世に存在しませんが,いまでも僕の心の中人は生き続けています」
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「彼らの肉体は」ということで「ら」が付いていますので,
ここの「メンバー」は複数.HIDEとTAIJIもということですね.

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「僕がもっと違った生き方をしていれば,メンバーが死なずに済んだかもしれないという思いは,今でも強く心にあります.それが僕にとって最大の後悔です.
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ここの部分,こういう形でYOSHIKIの言葉を聞くのは初めてかも知れないです.
「HIDEの死」についてはいまだに理解できないと言いながらも,
何か思うことがあるのでしょうか.
そしてTAIJIのことも.

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「過去は変えられない.解散を機に僕が活動を辞めてしまっていたら,X Japanの歴史は恐怖の歴史のままでした.でも僕たちはまた手を取り合って夢に向かって走り出し,歴史を書き足していった.メンバーの死を正当化することはできませんが,X Japanがよりビッグになることでその歴史を輝かしいものにしていけるかもしれない」
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YOSHIKIにとってToshlの存在が,大きいですよね.
お父さんとHIDE(TAIJIも)とは,もう話をすることが出来ませんから,
何で死んだのか分からないままその苦しみが続くのだと思いますが,
Toshlは生きて帰ってきて,関係が回復して(と言うよりも何と言いましょうか),
手を取り合える仲になって(^^;,

PATAの存在も大きいですよね.
倒れたまま彼岸の人になったのではなく,倒れながらもYOSHIKIと(電話で)話すことが出来て,
「ウェンブリーに行く.ウェンブリーで死んでやる」
でしたっけ?死んでもウェンブリーに行くという意思表示.
多分,HIDEやTAIJIが生きていたとしてメンバーだったとしても同じ台詞だったのだろうなと.

帰ってきたToshl.
昔と変わらないPATA.
支柱であり空気であるHEATH.
救世主SUGIZO.

メンバーは揃っているのに,まだ出来上がらない「あ」で始まる大切な物(^^;
来年こそは.....と,何年言っているのかしら?(^^;


ということで,やぼ用で数日出かけていましたが,今夜には帰宅出来る予定ですので,
年末押し寄せてきている情報の波に明日から乗れ...ますように(^^;